盤珪国師とは
about bankeikokushi
幼少の蒙山祖印禅師は、盤珪国師が自身の郷里を拠点に定め、いよいよ本格的にその活動を始められた頃、縁者に手をひかれ国師の門をくぐりました。そして国師の手によって剃髪され得度されました。
「ばんけいさん、ばんけいさん」と地元の人々から慕われ親しまれていた、国師の慈愛に満ちた表情にいっぺんに惹かれた蒙山祖印禅師は、生涯にわたって国師に尊崇の念を抱いたのです。
江戸・四国・九州の人々をも魅了
fascinate people
盤珪国師は、人が生まれながらに備えている仏心に気付く様、常に人々に播州弁で親しく平易に呼びかけられました。
播州より発せられたこの盤珪国師の温もりのあるメッセージは、遠く江戸・四国・九州の人々をも魅了したのです。
蒙山祖印禅師は、その著書『盤珪和尚行業記』に、手度の弟子4百余人、法諱を受けて弟子の礼をとるもの大名から民衆にいたるまで5万余千人、中興した寺院は全国に47ヶ寺であったと記し、そのお人柄を、淳実慈愛にして、貴賎賢愚貧富で人を見ることはなく、自然と諸人をいたわり、また暴言暴力は生涯人に加えず、奇をてらうこともなかったと記しています。
それでも、国師の弟子への指導は時に厳しく、電巻き雷激するがごとく、少しも仮借することはなかったといいます。しかし、そのお人柄に裏打ちされた厳しさに、心酔悦服しない修行者はありませんでした。